ひな祭りの意味と雛人形の由来や起源!ひな段や桃の節句の意味は?

お内裏様とお雛様

今年も子供の健やかな成長を祈願して雛人形を飾り、ひな祭りをお祝いするシーズンが近づいてきましたね。

ところで、ひな祭りや雛人形の意味や由来はご存知ですか?

年中行事や通過儀礼などのお祝い事の意味や由来は何となくは知ってはいるけれど、よくよく考えてみるとあまりきちんと理解はしていないかも、なんてことはよくありますよね。

今回は、ひな祭りの由来や雛人形の意味や起源をわかりやすくご説明いたします。意外と知らないことがたくさんあったりします。

 

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雛人形の由来と起源

「雛」は古くは「ひひな」と呼ばれていました。「ひひな」の語源は諸説ありますが、「ひな鳥」の愛らしさが愛玩用の人形の名前へと転化したものと考えられています。

すでに平安時代には幼い女の子の愛玩具として用いられていまして、雛人形に付随する住居や家具、食器、乗物などのミニチュア品も製作されていました

平安時代中頃に清少納言が書いた『枕草子』には、次のようなくだりがあります。

「雛の調度…なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」

(雛の家具をはじめ、何もかも小さいものはみなかわいい)

同じく平安時代の中頃に成立した『源氏物語』にも、少女たちが雛人形遊びに熱中する姿が描かれています。

最も有名なのは、後に光源氏の正妻となる紫の上(幼少時の名は若紫)が10歳余りの少女時代に、雛人形の男雛を光源氏に見立てて手で動かし、宮中に参内させて遊んでいる姿ですね。

「ひひなの中の源氏の君、繕ひ立てて、内裏に参らせなどし給ふ」(紅葉賀)

(雛人形の中の源氏の君を着飾らせて参内させたりしておられる)

幼い若紫はずいぶんと光源氏になついていたんですね。雛人形遊びの中にも光源氏を登場させてとっても可愛いです。

平安時代においては、雛人形は幼い女の子がミニチュア世界の中で人形を人に見立て、自分の手で動かしながら遊ぶ愛玩具であったことがわかります。さながら現代のリカちゃん人形といったところでしょうか。

雛人形の起源の一つはこのような平安時代の女の子の愛玩具としての人形でした。

ひな祭りの由来と意味は?

 一方、愛玩具とは別に雛人形には「贖物(あがもの)」の一種としての意味もありました。

「贖物(あがもの)」とは身の穢れや身にふりかかる災難などを自分の代わりに負わせる「形代(かたしろ)」のことです。

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古代の日本では三月に「上巳(じょうし)の祓」と呼ばれる「祓禊」の儀式が行われていました。この日には水辺に出て「贖物(あがもの)」としての人形に自身の穢れや罪や災難を移し、これを水に流して災禍を払っていました。

『源氏物語』の須磨の巻には、都を退去して寂しい須磨の地で暮らす光源氏が、三月「上巳の祓」の日に形代としての人形を舟に乗せて海に流し神に祈る場面があります。

「船にことごとしき人形載せて流すを見給ふにも」(須磨)

(舟に大げさな人形を積んで流すのをご覧になると)

「ことごとしき人形」とありますから、ずいぶんと大きな人形だったと思われますが、このような風習に用いられる雛人形は俗に「捨て雛」と言われます。現代の自身の身に降りかかる災禍の身代わりという役割をもつ雛人形の思想はこの延長線上に位置づけられるものです。

「上巳の祓」は実はもともとは中国の「水の精霊祭」を起源とする儀式なんです。

中国では災禍を流水に託して除去するお祭りとして三月に「曲水宴」と言われる水辺の宴が開かれていました。その風習が日本に伝わり、日本独自の思想や風習と結びき、後にひな祭りとして成立していったと言われています。

日本での「曲水の宴」はすでに奈良時代に行われています。奈良時代に成立した『万葉集』には、大伴家持の私邸で行われた「曲水の宴」で家持が詠んだ次の歌が残されています。

「漢人も舟を浮かべて遊ぶとふ今日ぞわが背子花かづらせな」(巻十九)

(唐人も舟を浮かべて遊ぶという今日であるよ諸君、花かずらをしよう)

「花かずら」とはおそらく桃の花のことですね。

ひな段や桃の節句の意味は?

中国の「水の精霊祭」は日本に伝わると、心身の穢れや罪や災禍を払うために神に祈り「贖物(あがもの)」としての人形に自分の呼吸をかけ、肌身にすりつけてその穢れを移し、これを水辺に捨てるという日本独自の風習へと発展していきました。

三月三日は「桃の節句」とも言われ、宴の際には桃酒を飲む風習がありますが、これも中国に由来します。中国では「山民が桃花の流れている水を飲んだところ、気力に満ちて皆三百歳の長寿を保った」という伝説があり、これを起源として「三月三日に桃花酒を飲むと病を除き顔色を潤す」という風習が起こりました。この風習は日本にも伝わります。

『枕草子』にも次のような記述が見えます。

「三月三日は、うらうらとのどかに照りたる。桃の花の今咲きはじめる。」(第四段)

日本における三月三日のひな祭りは、幼い女の子の「雛遊び」と、中国を起源とする「上巳の祓」に開かれる「曲水の宴」という水辺の宴が融合したものです。

その人形も次第に立派で美しいものとなり、江戸時代に入ってからは「捨て雛」だけでなく「飾り雛」も作られるようになります。お内裏様とお雛様を理想の男女として飾るようになったのも、七段飾りや五段飾りなどの宮中の儀式を模した大きな雛段を飾るようになったのもこの頃からと言われています。

ひな祭りの意味と雛人形の由来や起源のまとめ

現在行われている美しい「飾り雛」を飾るひなまつりが女の子の「桃の節句」となったのは、平安時代以来の女子の「雛遊び」と、「禊祓」としての「曲水の宴」が融合し、女子の身の安全を祈るものへと発展していったことに由来します。

ちなみに「雛人形をしまい忘れると婚期が遅れる」と言いますが、実はこれは俗信でして、雛人形をしまい忘れるようなだらしない女性は素敵な女性になれませんよ、という教育的な観点から明治時代以降に入ってから言われはじめるようになったものなんです。小さい頃よく聞かされましたけど。

これから雛人形を準備される方は▼も併せてどうぞ。

初節句の雛人形はどっちの親が買う?両家が円満に祝うための対応

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